豊臣秀吉の出世術~人たらしから学ぶ自己実現~
平民から天下人へ!前代未聞の超出世頭
平民から天下人へ
日本史において、トップクラス有名人の豊臣秀吉です。
秀吉は織田信長に仕えた戦国武将としてよく知られていますね。その高い能力を信長からも評価され、織田家臣団でも有数の実力者でした。
信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた後は、明智光秀を倒し、事実上信長の後継者にまでなってしまいました。
そして、この人なんと戦国の世を天下統一に導いているんです。
しかも、驚くことに高貴な家の生まれでもなく平民出身です。
平民からのしあがってきた人物の例は歴史上にいくつかありますが、ここまで偉業を成し遂げた人物はほとんどいません。
これだけで秀吉のすごさが伝わりますね。
出世がしたい!評価されたい!認められたい!現代人の悩み
この記事を読んでいる方にもそれぞれの人生がありますよね?
その中でもきっと色々考えていることがあるはずです。
「会社で出世したい」
「部活で先輩から認められたい」
「もっと、人間関係をよくして人気者になりたい」
「自分の可能性を広げていきたい」
といった悩みを少なからず持っているのではないでしょうか?
これは何らおかしいことではありません。
人間には様々な欲求があります。それ自体は否定されるものではなく、むしろ人間生活において大切なものになります。
マズローという心理学者は人間の欲求を5段階に分類しました。
その上で、段階ごとで自分の欲求を埋めていくことが大切だといいます。
第一段階 食欲、睡眠欲、性欲といった生理的欲求からスタート。
第二段階 健康でいたい、お金がほしいといった心身の安全を確保したいと願う安全欲求に移行。
第三段階 家族や学校、会社など何らかの居場所が欲しいという所属と愛の欲求(社会的欲求)
第四段階 他者から尊敬されたい。認められたいという承認欲求
第五段階 自分らしく生きたい。理想の自分になりたいという自己実現欲求
これらの欲求は人間が人間として生きていくために必要な大切なものです。
特に、第三段階からの欲求は、学校や会社などの社会生活を送る中で、誰もが無意識のうちに考え、また満たしていきたいものだと考えます。
でも、頭でわかっていても実際にこれらの欲求を満たしていくことは難しいですよね?
どうしたら、自己実現に向かっていけるのでしょうか?
実は、秀吉の行動にヒントがあるのです。
秀吉はなぜ平民から天下人になれたのか?
人たらしの力~人間心理学を駆使~
豊臣秀吉を語るうえで欠かせないキーワードが「人たらし」です。
では、人たらしとは何なのか?
簡単に言うと、人の心を掴むのが得意で、不思議と人を惹きつけてしまう人のことです。
一言で言うと「愛されキャラ」ですね。
きっと皆さんの周りにもそういう人いるのではないでしょうか?
豊臣秀吉は間違いなくこの人たらしの才能を持っていたとされています。
では、秀吉の人たらしエピソードをいくつかご紹介します。
信長の草履を自分の懐であたためた
これはかなり有名なエピソードですね。
秀吉がまだ、若く信長に仕えたばかりの頃の話です。
ある寒い雪の日、信長が草履を履こうとしたら、やけに温かかったそうで、
信長は最初、自分の草履を秀吉が尻に敷いたものと思って怒ったそうです。
でも、秀吉は「信長様が寒い思いをしてはいけないと思い自分の懐で温めていました」と答えました。
信長はこれにいたく感心したそうです。
上司の最大のピンチに体を張って立ち向かう
友人でも先輩や上司でも、特に何もないとき。あるいは自分に余裕のあるときには「あなたのことを助けます」と普通に言える人は意外と多いです。
ですが、逆に相手が本当に苦しいとき、自分もきつい状況のときに、同じ言葉を言える人、実際に行動できる人となるともっと少なくなるのではないでしょうか?
秀吉が、信長最大のピンチのときに自分の命をかけて危機を救ったエピソードを紹介します。
元亀元年(1570)に織田家と朝倉・浅井家による「金ヶ崎の戦い」と呼ばれる戦がありました。
元々、織田が朝倉を攻めており、勝利は目前というところまで来ていました。
ところが、織田と同盟関係を結んでいた浅井が織田を裏切り、朝倉と手を結んで信長を挟み撃ちにしたのです。
信長は即座に退却。
このときに、信長を逃がすために、殿(しんがり)の役目を引き受けたのが秀吉なのです。
殿とは軍が退却するときに最後尾にたって、敵の追撃を防ぐ、退却戦において最も重要かつ危険な役割です。
殿がしくじったら、軍は当然崩壊してしまいます。そもそも、自分が命を落とす危険性もとても高い役回りです。
責任の重さは想像を絶するものがあったと思われます。
人を見る目は超一流!有能人材を惹きつけた魅力
秀吉自身の才能もさることながら、非常に優れた才能を持つ部下が大勢いたのも秀吉の特徴です。
その中でも、特に興味深いエピソードがあったので2つほど紹介します。
竹中半兵衛は、美濃の斎藤一族に仕えた武将でした。
非常に知略に長けた武将で、主君の斎藤竜興が酒と女に溺れてろくに政務を顧みなかったことを諫めるために、わずか10数名の手勢で、斎藤竜興の居城であり、難攻不落と名高かった「稲葉山城」を占拠してしまったほどです。
※稲葉山城は、超重要な拠点で織田信長が何度も攻めて失敗したほどの城
秀吉は、竹中半兵衛を織田家にスカウトするために、彼の下を尋ねました。
竹中半兵衛からは断られてしまいます。それでも、秀吉はあきらめずに、一度断られても再度尋ねる、それを3回繰り返したそうです。
これ実は「三顧の礼」と言われる三国志における有名なエピソードなんです。
かつての時代、劉備が天才軍師孔明を臣下にスカウトするときに、彼の下を3回尋ねました。劉備の誠実でまっすぐな姿勢に心打たれた孔明が劉備の軍師となったエピソードです。
竹中半兵衛は孔明の軍略もよく勉強しており、秀吉の「三顧の礼」に心打たれ、
秀吉の臣下として仕えることを決意しました。
これも比較的有名なエピソードです。
秀吉が、あるお寺に立ち寄った時に、のどが渇いたからお茶を持ってきてほしいと寺の小姓(後の石田三成)に頼みました。
三成は、まず最初にぬるめの薄いお茶を茶碗にいっぱいついで秀吉に差し出しました。
秀吉が2杯目を所望すると、今度はやや熱めで濃いめのお茶を茶碗に半分注ぎました。
さらに3杯目を所望されると、熱く濃い茶を小さな茶碗で差し出したそうです。
「これほど、相手の目線に立って相手の望むものを自分で考えて提供することができるのか」
秀吉はこれにとても感心しました。
それから、秀吉は三成を召し抱えることにし、三成のことを大変重宝しました。
寺の小僧だった三成は、それからもその才能を惜しみなく発揮し、豊臣政権にとってなくてはならない存在にまでなりました。
圧倒的な行動力~自分のアイデンティティを確立~
秀吉も当然、最初から相手に信用されていたわけではありません。
前述のエピソードにも言えることですが、
秀吉はとにかく行動を大事にしています。
自分から率先して動き、常に相手の立場に寄り添っているのです。
そして、時には大胆なこともしてみせました。
先ほどの殿(しんがり)のエピソードもありますが、
墨俣の一夜城のエピソードもまた有名ですね。
「現地ですべての作業を行うから、敵に邪魔をされて失敗してしまう。
なら、あらかじめ必要な部品は別の場所で作っておいて、それを運び込んでまえば時間の効率化ができる」
と考えたのです。(現代で言うプレハブ工法に似ていますね)
こうして、通常では考えられないくらいのペースで砦を建設してしまいました。
人たらしから学ぶ自己実現
秀吉は自分の「人たらし」の才能と並外れた行動から、周囲の信頼を獲得し、戦国武将・天下人としての自己実現を果たしていきました。
秀吉はその「人たらし」の性格ばかりがよく注目されがちですが、
実は秀吉が本当にすごかったのはチャンスをつかむ勇気と行動力だとも考えられます。
そもそもですが、織田家に仕えていなかったらここまでの偉業を成し遂げられたかどうかはわかりません。
信長は、今でこそすごい戦国武将として知られていますが、当時の信長はそこまでの知名度はなく、むしろ「うつけもの」という評判もありました。
織田信長の人柄と才能を見抜き、その上で自分の能力をフル活用した結果、秀吉は織田家でも有数の武将になりました。信長亡き後はその後継者となり、最終的には信長でさえ成しえなかった天下統一を達成してしまいました。
その先見性は流石というほかありません。
それに、秀吉は口先ばかりの男ではありません。
織田家にとってのベストな選択を常に考え、必要とあらば、自分が体を張ることも厭いませんでした。
現代でも口先ばかりで行動が伴っていない人は当然ですが信用されません。
いざというときに勇気をもって行動できるかが信頼を得るかどうかを決めると言えます。
もちろん、全員が秀吉のように天下をとれるとは限りません。
ですが、秀吉は低い身分から自分の力をフル活用して、究極の自己実現を達成しました。
現代に生きる私たちも、秀吉の人柄と行動から、自分の自己実現につなげる方法を見つけてみてはいかがでしょうか?
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